2017年8月10日

【広島の原爆を空から目撃した元軍人の証言】




紫電改パイロット、本田少尉は爆発の直前直後広島上空を飛行。

遠方からもエノラゲイを見ていない。爆発は地上からだったように思う、と証言している。

エノラゲイはあの時点で本当は飛んでいなかったのではないだろうか。
地上からエノラゲイを目撃したという民間人の証言もあるが、広島上空を飛んでいたのはあの時点よりもかなり先だったのではないだろうか。上空からきのこ雲を撮影したもう一機の別の紫電改がいる。その写真は米軍に渡ってエノラゲイから撮影されたことになっている。
原爆の地上起爆への疑惑に駆り立てられる貴重な証言。

あの戦争の不可解で理解に苦しむ軍部の作戦・命令など、そのばかさ加減と失敗に学ぶ反省の無さには嘆く点が多々あります。

なんとなく今日の日本政府とよく似てますね。特に核に関しては、そうなのです。

しかし、戦争を支配者同士の共同ビジネスと言った観点で捉えてみると、彼らの不可解さは理解に苦しむどころか、隠してきた共同作戦が丸見えになってきます。

なにを隠そう、本当の敵は陣中にありです。
国土が焦土と核汚染と化すことで潤う天皇財閥が米国軍産複合体と協調してイベントを仕組んできた調本達だからです。

1 件のコメント:

  1.  エノラゲイを含む3機のB29は、広島の東側から侵入しました。その少し前に、その3機は呉の上空を通過していました。呉周辺には最新の高射砲を装備した高射砲部隊が配備されていて、3機のB29を照準に捉えていました。しかし、高射砲部隊の指揮官は、偵察機と判断してしまい、発砲命令が出ませんでした。
     日本陸軍特殊情報部では、テニアンの呼び出し符号600番台のB29が、特殊任務を帯びているら様だ、との分析を行っていたのに、それを高射砲部隊に伝えなかった、連携の悪さが悔やまれます。
    「私たちの砲は、すでにそのB29を15度ないしは20度ぐらいの角度で捉えていました。一番撃ちやすいコースを飛んできていたのです。砲身はその動きに連れ、ゆっくりと動いてゆきます」
    「およそ45度の角度で発射すれば、そのB29の進む前面に弾幕ができるわけです。高度も、8000メートルぐらいではなかったかと思います。十分撃ち落とせる範囲です」
    「私たちはじっと上空を見ていました。『B29射程内ニ在リ・・・』と私は胸の裡でひそかに呟きました」
    「撃てば多分、当たっていたと思いますよ。撃ち損じるようなものではなかった。少なくとも大きく進路変更を余儀なくされたのではないでしょうか。あの高角砲は最新式のものでした」「本当は(当時を)思い出すのが嫌なんです。もし撃っていれば、という思いがこみ上げてきますから・・・残念でたまらないのです」
    http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20120806/1344206205


    (広島)  7:09 警戒警報発令 7:31警報解除
    (松永)8:06 北上する2機と3分後もう1機を目撃
    (西条)8:13 3機を確認
    (広島)8:15 Great Artiste 号が3個の観測器を投下し南に向け左に急旋回
              Enola Gay号 が Little Boy を投下し北に向け急旋回。
                                
    https://blogs.yahoo.co.jp/bonishoko/folder/1217177.html

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