2010年8月4日

2012年の変化

バシャール・須藤元気の対談より抜粋


2012年というのは、人類の集合意識が臨界点に達し、ある境界線を超えて次の段階に進むだろうと私たちが認識している年です。この時期は地球上のいくつかの社会においても、同じようにターニング・ポイントとして認識されています。 
そしてまた、2012年は宇宙連合(Association of Worlds)による地球の隔離期間(the quarantine)の終わる時期でもあります。ずいぶん前から地球は宇宙連合が直接働きかけることのできない、ある種の隔離状態にありました。2012年はその隔離状態が終わりを告げるので、もし選択するならば、地球は他の星々を直接コミュニケートできるようになります。 


みなさんは、何千年もの間、自分達が別の次元や別のレベルとつながっていることを忘れるという選択をしてきました。ですから、私たちは、みなさん人類が主としてその選択をしたことを尊重しなければならず、また、みなさんのプロセスに介入してはならないのです。
しかし、2012年以降は私たちとみなさんとの間のコミュニケーションが増えてきます。なぜなら、人類の意識がより覚醒してくるので、私たちが介入してももはやみなさんのプロセスを邪魔することがないからです。
地球上のエンターテインメントで『スター・トレック』というドラマをご存知ですね。 

あの映画の中に出てくる「プライム・ディレクティブ(Prime directive)というコンセプトは知っていますか。「準備ができていないときには、その星に介入しない」という方針です。 それが「隔離」です。


バシャール・須藤元気の対談より抜粋

パラレル・ワールド

バシャール・須藤元気の対談より抜粋

しばらくの間は、ポジティブなエネルギーもネガティブなエネルギーも、両方経験できるでしょう。しかし、近い将来、ポジティブなエネルギーの人々はポジティブな地球だけを、ネガティブなエネルギーの人々はネガティブな地球だけを見るようにシフトしていきます。 
ポジティブな地球とネガティブな地球は、まるでパラレル・リアリティのようになり、その2つのリアリティを同時に見ることはできなくなります。ネガティブな地球とポジティブな地球を同時に体験することはできなくなるのです。 
これは同じ地球を異なる角度から見ているのではなくて、文字通り2つの異なった現実、2つの異なった地球になるのです。
いわゆるパラレル・ワールドというわけです


パラレル・リアリティとしての地球は、量子力学のエヴェレット解釈(ヒュー・エヴェレット<Hugh Everett>が1957年に発表した定式化)みたいに無限にあるということです。
無限の数のパラレルな地球がすでに存在しています。パラレル・リアリティのすべてが、すでに「今、ここ」にあるのです。そして、あなたがどのリアリティを経験するかは、あなたの波動が決めています。 
私たちがそのことをテレビの番組のようだと説明したことがあるのを思い出してください。同じ時間帯にさまざまな番組が放映されていますが、あなたが一度に見ることができる番組はひとつだけですね。 

地球上の大部分の人は、今はポジティブとネガティブの両方がある同じ番組を見ています。 
けれども、遠からざる将来、ポジティブな番組だけを見る人々、ネガティブな番組だけを見る人々というように別れます。両方の現実が共存していますが、それぞれのリアリティはお互いに他者を感じることはできません。ちょうど今現在もパラレル・リアリティは存在しているけれども、あなたの目にはそのリアリティが見えなくて、あなたのリアリティが、それ以外のパラレル・リアリティに住んでいる人には見えないのと同じことです。 


でも、すべてが「今、ここ」にあります。すべてのリアリティが「今、ここ」に重なって存在しているのです。ただ、波動が違うので、ひとつのリアリティにあるときには、それ以外のリアリティを体験することができないのです。現在では、量子物理学者もこれが真実であると理解しています。  
あなたのまわりの世界は、あなたの意識の波動が映し出されたものです。ですから、もしあなたが存在していなければ、あなたのまわりの世界も存在しないのです。
物理的な現実とは鏡にすぎません。どんな波動であれ、あなたが送り出している波動を鏡のように映し出してくれるだけです。


鏡を見たとき、鏡の中に見えているのは単に光が反射して見えているだけであって、鏡のこちら側にいるのが自分だというのはわかりますね。
物理的な現実とは、あなたの外側にあるのではないのです。あなたの意識の内側にあります。それが外に映っているだけです。


しかし、地球上の多くの人は、鏡に映っているもの、投影されているものが現実であると考えるように教えられていますから、現実を変えたいとき、自分自身を変えるのではなく、鏡に映し出されたもの、投影されたものを変えようとしてしまいます。 

宇宙論で論争の種になっている「人間原理」とか、量子力学の世界でフォン・ノイマン(John von Neumann)が提唱した波動関数の「収縮」の話と同じですね。この実在世界は観測者としての人間意識の媒介なしには語れない。


2025年から2033年の間に、地球はパラレル・リアリティへどんどん分裂し始めます。そして、2033年から2050年の間には、もはや地球上でネガティブな現実はなくなるでしょう。


バシャール・須藤元気の対談より抜粋

2010年7月8日

スピリットの声

あなたの心の内に発する言葉は、ポジティブであろうとなかろうとスピリットによるものです。
直感的に思い付いたことや独り言だと思っていたことが、実は自分の考えではなく、ポジティブなスピリット・ガイドによる答えであったりするものです。場合によっては、ネガティブな面を持った低次のスピリットによることもあります。

そのような自己観察を続けていると、そのうち気付くでしょう。あなた自身の考えとは、スピリットによる介入や影響が大変大きいいことに。スピリットにより何らかのアドバイス・勇気や愛を言葉として受け取る場合があります。この場合、以前には思いもよらなかった発想や感情を体験します。
誰でもそういう場合がありますが、人によってはそのような声を無視してしまい機会を逃してしまうことがあります。
逆に低次のスピリットから否定的な意見や誘いを受け取りネガティブな暗示にかかったりもする場合もあります。人の意識に接すると多くの人がこれに掛かっています。自己を見失うほど暗示に掛かると霊の憑依により精神に異常をきたします。

だから真に自分を高次の存在へと導いてくれる内なる声に耳を傾けなさい。最初は自己に固執する習慣からなかなかこのことに意識を向けることは困難であり、受け入れがたいかもしれません。これは意識のすべてが自分という存在で占めているという思い込みによるものです。
あなたの意識がすべての存在とつながっていることを思い出すとき、エゴの存在にも気付き、以前の自己からの脱皮が始まります。
スピリットとの会話の最初はぎこちないく、かすかなささやきであったりしますが、徐々にスピリットともに生きるという生活が待っています。
あなたの心の内に発する言葉は、ポジティブであろうとなかろうとスピリットによるものです。
直感的に思い付いたことや独り言だと思っていたことが、実は自分の考えではなく、ポジティブなスピリット・ガイドによる答えであったりするものです。場合によっては、ネガティブな面を持った低次のスピリットによることもあります。

そのような自己観察を続けていると、そのうち気付くでしょう。あなた自身の考えとは、スピリットによる介入や影響が大変大きいいことに。スピリットにより何らかのアドバイス・勇気や愛を言葉として受け取る場合があります。この場合、以前には思いもよらなかった発想や感情を体験します。
誰でもそういう場合がありますが、人によってはそのような声を無視してしまい機会を逃してしまうことがあります。
逆に低次のスピリットから否定的な意見や誘いを受け取りネガティブな暗示にかかったりもする場合もあります。人の意識に接すると多くの人がこれに掛かっています。自己を見失うほど暗示に掛かると霊の憑依により精神に異常をきたします。

だから真に自分を高次の存在へと導いてくれる内なる声に耳を傾けなさい。最初は自己に固執する習慣からなかなかこのことに意識を向けることは困難であり、受け入れがたいかもしれません。これは意識のすべてが自分という存在で占めているという思い込みによるものです。
あなたの意識がすべての存在とつながっていることを思い出すとき、エゴの存在にも気付き、以前の自己からの脱皮が始まります。
スピリットとの会話の最初はぎこちないく、かすかなささやきであったりしますが、徐々にスピリットともに生きるという生活が待っています。


2010年6月21日

生命エネルギーのシンボル



先日バシャールのオフィシャルサイトを訪れました。

そこで、その真上にあるシンボルマークを見てわたしは驚いてしまったのです。

私が行なっているツリーハウス、その骨組みの最小単位(モジュール)と同じではないですか。
このとき直感で何かが伝わってきたような気がしたのです。


前回のブログでも記述しましたが、それはバシャールが語っている生命エネルギーのパターンの象徴であることに改めて気がついたのです。
私は幾何学と自然科学の融合をデザイン化することに専念していますが、やはりバシャールの意図していることがこのシンボルから伝わってくるのを感じます。
このシンボルの中心の渦は、まさしく直線が織りなす幾何パターンにおいても空間がねじれて渦を巻き、それがエネルギーであることを語っています。

あたしの場合、言葉よりもイメージの方が伝わってきます。そのためかなり言語化するのに苦労しています。
それでも今後とも何とか断片的に言葉によって伝えては行きたいと願っております。

さて、このシンボルの背後の言わんとしていることの一つに、一つになることはすべてである、と言った意味深い内容がひかえています。
それは実際モジュールに置き換えた場合、一つでは成り立たないからです。三角形の各辺の延長部の腕の部分が重要で、幾何的にはその箇所を共有して相互に連結することで一つの大きな球体になって行きます。そうして柔軟な集合体が形作られます。

従来の幾何概念(ユークリッド的)ですと、三角形の辺をもろに互いに共有することで三角形のグリッドを形成していました。そして各頂点は複数の辺の端が集まる点にすぎませんでした。
3次元空間においては設計もしやすく、その幾何解析も容易です。
しかし、これでは現在の自然科学にも相反する矛盾を抱えたままです。

しかし、新たな幾何概念(非ユークリッド的)では頂点である点に代わり空間が生まれ、その周囲に辺が回転しながら渦を描くさまが生じてきます。設計となると、古典幾何を見直して再構築しなければなりませんが。まさに4次元の感覚をギリギリ3次元に移した幾何学と言っても良いでしょう。
この空間の把握に慣れ親しむには若干の時間がかかりますが、確実に高次の感覚が芽生えてくるものです。

2012年以降の世界

4次元空間への移行

・・・それから物質の質量などが変化するに伴い・・・
地球のエネルギー体とそのパターンが変化する。
これまでよりも空間次元という意味での4次元的なパターンの特性が表に出てくる。具体的には、これまでは3次元空間内でたとえば、ピラミッドの形で象徴できるパターンを取っていた。
それが、今後変化していくエネルギーパターンを3次元空間で表わすともっと複雑な形になる。
実際のところ、3次元空間では上手く表わせない。この変化に伴い地球の磁場のパターンも変化する。 

バシャールより 
第三の構造体(最終変容型)

2010年6月20日

西暦3000年以降の世界

地球の気候変動が単なる温暖化によるものではなく、太陽系そのものの進化による影響から来るものであることが、精神世界からの情報で明らかになってきています。
進化とは愛の一形態である。確か、アミ(小さな宇宙人)が語っていた記憶があります。

ヘミシンクを広めている坂本政道氏は、そのような愛にあふれた生命エネルギーが銀河系の中心より地球にも注がれ、人類の精神的・肉体的な進化が促進されつつあるといいます。もちろん太陽系に変化がおき、太陽の活動が著しく活発になっています。
彼は、フォトンベルトといった考えには発想的にも科学的にも否定していますが、私にはその生命エネルギーはどことなくこのフォトンに近い様にも思われます。

そんななか、物質と非物質との境界が以前よりもゆるくなってくるそうです。要するに霊的な世界や現象が以前よりも頻繁に身近に感じられるほど、私たちの感覚や身体が変化してくるということです。。
この点は、言い方こそ異なりますが、よく物質をなすエネルギーとか意識の振動数が高まってくるともいわれています。
そのようなことがおこることで、人の死生観が変わり、肉体や所有を始めとする物質への執着が薄れ、魂の永遠性に目覚めることで、真に大切な愛を中心とした人類へと進化・移行していくようです。

しかし、進化から取り残される人々もいます。いわゆる変化を拒んだり、エゴを保持した生き方を持続していく人々です。これが原因となってかれらは次のカルマを生み出していくそうです。
そうなると次の転生の適地は、進化した地球の時代でなく、過去の時代かあるいはそれに類似した別の惑星へと移行されるようです。これから進化の途上にある地球は環境的にも変化していく様です。

しかし、物質と非物質との境界が希薄となる世界ではこの輪廻から開放されているようです。あるいは自らそういったことをコントロールできるのではないかと思います。というのは、必要に応じてある使命を感じて物質世界で活動することもあるからです。
この様な魂は肉体に宿る以外色々な方法で私たちを導いていってくれます。それでもその様な魂や意識は、ポジティブな場合ばかりではなくネガティヴな場合もあります。
ぜひ、愛という宇宙の法則を唱える(アファメション)することをお勧めします。

輪廻転生に限らず、時間の概念は必ずしも直線状にあるのではなく、あえて一側面からいえば点在しているといってもいいでしょう。そこでは来世がその時代からみて過去でもありえ、過去世がその時代の未来でもありえるのです。場合によっては、異なる世界の可能性もありえます。
重要なのは、時間の流れではなく、その魂が理想(進化)を実現するにふさわしい世界なのです。

ところで、ヘミシンクの開発者(ロバート・モンロー)が地球の千年後を体験しています。
そのくだりを見てみましょう。
ロバート・モンローが西暦3000年より後の世界に行き、地球を見ている。その様子が『魂の体外旅行』に詳しく書かれている。そこでは、地球は元の生態系がすっかり復元されている。人間の作ったあらゆるものは元に戻っているのだ。ただ一部はたとえば花畑だったり、鳥類保護区だったりと、特定の目的のために作られている。・・・・・
・・・・従来の人類はすべて卒業し、地球を去ったから、輪廻を必要とするような人間はいないし、想念に囚われる人もいないのだ。
地上には人間はほとんどいない。少なくとも肉体的に活動している人間はいない。その代わりに、エネルギー体としての人間が少数いるだけである。
彼らは肉体をエネルギーで包んで樹の下に保管してある
肉体が必要になったら、適当なのをえらんで使うのだという。彼らは意識こそが自分だと思っているから、自分に肉体があることを忘れている。
だから、今とは逆で、あなたには肉体があるんだよということを教えなければならないのだ。
そういう、未来が待っているのである。 
坂本政道著「楽園実現か天変地異か」より



このくだりは現実なのかイメージが混ざっているのか分かりません。現実のごく一部かもしれません。想像すれば人は、映画のアバターのように2つの世界を明確に憶えているのでしょう。
現在の人類の多くは眠っている間、もう一つの別の世界で生活していることを思い出すことができません。
8時間の睡眠でも、その間一ヶ月とか一年ぐらい時空を超え別の世界を経験していることも想像できます。そのときの残象がこちらの世界のイメージと混ざり合って一般的な夢となって現われてきます。

R.モンローが見た、樹の下に肉体を保管してあるとは?
未来の人間は、あのパンドラに住むナヴィのように樹上というか、その中を居住地にしているのでしょうか。モンローは彼らが眠っている間にそこを訪れたようにも思われます。

そんなことを想像していると、一昨年前に私がツリーハウスに取り組み始めたきっかけが気になり始めました。
それは私が眠っている間に体験した未来のヴィジョンが影響しているのではないかと思えてくるのです。


2010年5月25日

マザー・シプトンの予言

マザー・シプトンは15世紀のイギリスに出現。その存在については
不明瞭な点も多いが、近未来をいくつか予言したことで知られた。
火のような龍が天を横切るだろう。
それは地球が絶滅するまでに6回とも
人類は震え、そして脅え
この予言の6つの前兆によって起きる。

今世紀を生きぬく人たちは震えながら
恐怖のあまり
山や洞窟に
沼や森や野生の湿原地へ逃げる。

ガブリエルが海や海岸にいると
嵐は荒れ狂い、海は轟く。
そして、不思議な角笛を吹くと
古い時代は死に、新しい時代が生まれる。

生き残る者たちは長い歳月にわたり、
龍の尻尾を恐れる。しかし時によって
記憶が消される。それは不思議なことと
思われるが、きっとそうなるのだ。

直観力のある子どもたちは、自然に、
優雅に、謙虚な人になるように、
そして、そのとき再び、
黄金の時代が始まるだろう。

龍の尻尾は、人類の転落と衰退を示す
単なるサインである。
そして、この予言が現実化されるまでに
私が火あぶりにされるだろう。 

2010年5月24日

もどってきたアミより、愛を語る

「愛とは」




愛とは、意識の繊細な一成分のことである。

それは、存在の深い意味を、教えてくれる。

愛は、唯一の合法的な麻薬でもある。

間違って、愛が生み出すものを、酒や麻薬の中に、探す人もいる。

愛は、人生において、最も必要な物である。

賢者は、その秘密を、知っていて、ただ"愛"だけを、探した。

ほかの人は、それを、知らないから、"外"ばかりを、探した。

どうやったら、愛が、手に入るかって?

愛は、物質でないから、どんな技術も、役に立たない。

それは、思考や理性の法には、支配されていない。

思考や理性の法が、愛に、従っているのだ。

愛を、手に入れるには、先ず、愛が、感情ではなく、存在であるということを、知ることだ。

愛とは、なにものかであり、実在している、生きている精神である。

だから、我々の中で、目覚めると、我々に、幸福を、そして、すべてのものを、もたらすもの…


どうしたら、愛が、くるように、できるのか?


先ず、最初に、存在していることを、信じること(愛は、見ることはできない。ただ、感じるだけだから)(それを、神と呼ぶ、ひともいる)。

それが、出来たら、心の奥底にある住まい、つまり、ハートに、探すことだ。

それは、すでに、我々の中にいる。呼ぶ必要はない。

来てもらうように、願うのではなく、ただ、自由に、出るように、させてやること、ひとに、それを、与えてやるように、することだ。


愛とは、求めるものではなく、与えるものなのだ。


どうやったら、愛が、手に入るかって?


愛を、与えることによって


愛することによって




「もどってきたアミ」 エンリケ・バリオス 著 より引用