2017年8月7日

日本政府は原爆投下を事前に知っていた



日本政府は原爆投下を事前に知っていた: 心に青雲


事前に知っていたどころではない。

あの戦争は日米の上層部が共同で行なっていたのだ。しかも戦争と言うイベントを始める前から。

だから互いに情報を共有していたし、作戦も共有していた。

日本はどうやって負けるか。負けることによって膨大な利益を天皇財閥は手にすることを米国側と密約していた。

ちぐはぐな大本営命令やあの戦争の不可解なことも、それを軸に捉えるとつじつまが合ってくるだろう。

知らなかったのは日米の一般庶民と下級軍人だったのだ。

 われわれは鬼塚英昭氏の著作(『天皇のロザリオ』『原爆の秘密』など)によって、日本政府も、天皇も、軍上層部も事前に原爆攻撃を知っていたことを勉強した。

 以下、本文から抜粋

8月6日が近づくにつれ、広島には数万の将兵が集められた。アメリカ兵の捕虜だけが広島市内から安全なところへ移送された。すべては天皇の命令によって…。

 広島市内に将兵が集められたため、市民への食糧供給が底をつくほどの状況になったという。その兵隊達は何の意味もない穴掘り作業に従事させられ、原爆投下の時間には営庭に集合させられ、原爆によって命を奪われていった。例外的に生き残ったのは、事前に原爆攻撃を知らされていた第2総軍の司令官・畑俊六だけであった。


72年前の今日。1945年8月7日,豊川空襲。豊川海軍工廠が爆撃を受け,死者2,417人,そのうち勤労動員の中学生・女学生・国民学校児童は447人。事前に知らされていた軍人もいたに違いない。

その隣りの豊橋では市街が焼け野原になったのに、なぜ市役所隣の軍司令部や愛大周辺の軍施設が無傷だったのかこれで察しが着くだろう。
要するにあそこにはあのイベントを一緒に行なっていた仲間がいたからだろう。

本当の敵は陣中にあり。

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