2016年4月25日

軽度の悪魔崇拝

初詣に限らず、願い事を自分でかなえず他者に依存する精神状態は軽度の悪魔崇拝だと私は認識してます。
これは、あたしが過去数か月にわたって悪魔崇拝を研究・調査した結果の一つです。

その精神状態はあらゆる宗教の神頼みに共通しています。
己の中に『崇める』存在を作り出すと、その潜在意識化には真逆に『蔑み』のこころも同時に育ててしまうのです。
崇める存在が神であろうとアイドルであろうと変わりません。
精神構造がそうなっているのです。
ですから仏教・神道・キリスト教においても、軽度の悪魔崇拝の精神構造は内包しているのです。

元々宗教は支配者が悪魔と結託してパワー(悪運・支配運)をもらう儀式を含んでいます。
京都の「祇園祭」がもともと悪魔崇拝だったという話はなかなか信じにくいかも知れませんが、「ハロウィン」が悪魔崇拝だったというなら、少しは頷けるかも知れません。

では禅はどうかというと、『仏・神に会ったら、たたき殺せ』という問答があるくらいなので、アンチ悪魔崇拝なのです。ただ、不完全燃焼の感はありますが。。。


ごく当たり前の祈願も、一見神を拝んでいるようですが、依存心の周波数に応じた霊的存在や出来事を招き寄せているにすぎません。


ですから、そういう場合神様には願い事は届いていないのです。代わりにエゴの願望に応じた存在が引き寄せられます。
中には、最初に甘い汁を出しておいて、最後にはアキレス腱を切るような存在もいます。
またはあの世に行くまで甘い汁を出させて転生する段階で運命の輪を切るケースもあります。


さらに、重度の悪魔崇拝に陥った者へは、なんども転生して極限まで甘い汁を吸わせて、人間からはるか隔たった存在に魂を移行させる存在がいます。
あたしは、こういったことを神が行なっていると思います。



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