2015年10月30日

【天皇ヒロヒト・天皇財閥の犯罪歴】


 日本人はヒロヒトだけの犯罪をこえて、それを生み出してきた歴史的背景を幕末までさかのぼって考えなければなりません。

 日本人の触れたがらないタブーにこそ、日本の悪政を生み出し見過ごす原因が潜んでいるように思います。
それは、天皇制に触れることになりますが、我々日本人は何世代も前から潜在意識にこのブロックが置かれロックを外すことが困難になっています。

 しかし、このロックを外すことは、隠されていた事実をも知ることにもなり、信念体系が崩れることにもなってきてしまいます。
受け入れがたいことですが、日本人にとってはものすごい屈辱となることでしょう。
ひょっとしたらこの地球上で起きた屈辱の中で最大かもしれません。


 でも、戦争体験者や被爆した人たちなどは、知るべき内容ではありません。
それはあまりにも残酷な事実であって、戦争以上の悪夢になってしまうことだからです。


 しかし我々世代は知るべき事実だし、我々のこの世代でこの虚構の世界と洗脳と幻覚を終わりにしなければならないのです。






◆ヒロヒトは戦争が始まる前に、結社より日本が戦争に負けるように指示が下り、それに従うような軍令を御前会議で次々出す。


◆しかし10年後には復興する計画も結社より知らされていた。


◆ヒロヒトはスパイを通じて西側にも東側にも内部の情報を流していた。


◆ヒロヒトの軍令に従わない・批判する軍人や政治家は2・26事件をでっちあげて皆殺しと見せしめを行う。


◆アジアの国々から金を略奪した暁にはアメリカと山分けする取り決めを受けていた。


◆天皇財閥はヤクザを育ててきており。戦中はこの凶暴な連中を前線後方に控えさせて金銀財宝を盗み残虐行為をさせた。


◆戦後すぐにマッカーサーがフィリピンで精錬工場を立ち上げこの財宝を金の延べ棒に加工し、出自の証拠を次々消していく。


◆ヒロヒトは負ける作戦を展開させて、日本軍を内部で混乱させた。


◆戦況は負けているにも関わらず、米国からの指示に従いできるだけ進撃を引き延ばしていく。大量虐殺のお膳立てまでしてきた。


◆こうして多くの兵士・国民の命をどぶに捨てさせた大量虐殺に加担する。


◆ヒロヒトは日本の原爆開発にも関わっていた。


◆雇ったスパイからの情報を破棄させ、日本に不利な状況を作り続けた。


◆ヒロヒトは広島・長崎の原爆投下にも加担している。広島に決定を下したヒロヒト側の理由は、彼に従わない陸軍の大本営が広島にあったからだ。


◆南下政策でアジア12カ国の物的財産を根こそぎ一掃し、フィリピンに集めさせた。その直接の現場指揮は兄弟や従兄弟たち。


◆その金(きん)がドイツのUボートによって運ばれたウラニウムと現地で取引され、原爆開発につかうため日本に輸送される。


◆戦後の身の保身を確約させてもらうため、ついでにバチカンに金(きん)を貢ぐ。


◆終戦後の戦争責任を軍部に追わせるために、フィリピンの財宝がアメリカ側にわたる。


◆戦後は隠しておいた金(きん)を天皇財閥に振り分け戦後の復興を図る。


◆戦後膨大な金(きん)を得た天皇家とその財閥は、国民にはカネがないように見せかける。


◆スイスに莫大な蓄財が出来た感謝の印に、


「敵国の戦争指揮官」(彼にとっては同僚)のドレーパーに勲一等瑞宝章

(くんいっとうずいほうしょう)を与え表彰している。
◆昭和天皇が、悪の枢軸国の国家元首でありながら裁かれなかったのは、原爆を開発して殺傷実験までさせてくれた武器利権仲間だから。英国軍人昭和天皇は核兵器の他にも中国人で人体実験した生物化学兵器の特許まで米国とシェア。 それらの武器特許を相続したのが今の天皇。


◆戦後、放射能被爆のデータ収集を米国と行い、データを実施例に特許取得をする。


◆この特許で世界各国の原爆開発による特許収入により莫大な利益を得る。


参考文献:鬼塚英昭・高橋五郎・大田竜・デビッド・バーガミニ等の著書

まだまだありそうですが、思い出すだけでこのくらいありました。





ヒロヒトは、これらのことを国民の目から隠すため、戦後のイメージ作りに励みました。

純真で大人しそうでおバカな典型的な日本像が演じられたのはこのためです。

また天皇家に戦争犯罪加担の標的になる国民感情を抜き取るため、典型的な幸せそうな宮中の家族像をマスゴミ一丸となって伝え、国民には無害で批判的精神などないナサザエさん一家を演じることが理想的であるかのようなイメージを植え続けています。


ここまでの大犯罪者を育ててきた彼らの背景は、実に幕末にまでさかのぼります。

3代にわたる天皇家ならびに天皇財閥・軍閥等が幕末より外国の勢力によって骨抜き・傀儡化され、犯され続けてきたからに他なりません。


時は幕末、天皇(孝明)はこの外国勢力が支援する薩摩・長州藩に対抗していた。薩長にとってこの孝明天皇は邪魔な存在であったため、この勢力による売国サムライによって彼は暗殺される。

新たな天皇(明治)は息子の睦仁でが継ぐことになる。

しかし、結社にとって都合のよい駒に仕立てるため睦仁も殺され明治天皇がすり替えられのだ。


このすり替え事件では、長州出身の騎兵、大室寅之助が今まで有力な定説になっていた。


しかし、今年の夏の安保法案可決をめぐって支配層の隠ぺい工作情報が吹き出る中、一つのゆるぎないタブーが暴かれた。



それが明治天皇のすり替え玉は寅之助ではなく別の人物が浮上してきた件です。


それは津山藩の蘭学者・翻訳担当:箕作秋坪の息子、箕作奎吾(みつくりしんご)彼だったのです。

決め手となった証拠は写真鑑定でした。


この件で明るみに出てきたことは定説の大室寅之助が長州のまわし者だったことからくる例の田布施システムに疑問が投げかけられたことです。。

要するに従来の天皇すり替えは韓流がターゲットになってきた。しかしここにきて箕作奎吾(みつくりしんご)であれば、欧州のユダヤ金融財閥が直接関与してきた一連の不可解な歴史的事実とマッチしてくるのです。


多分このことを隠すため、従来の説はカモフラージュに使われたのだろう。

田布施システムを言い始めた鬼塚英昭氏はあれだけの資料を集めていたのだから、どこかある時点で箕作奎吾(みつくりしんご)が明治天皇だったことに気づいていたはずだ。

私が思うには、彼はそれ以外の情報公開と引き換えに奎吾のことは伏せ、韓流にするように天皇財閥とつながる出版社かその手の勢力から圧力があったのだろう。


ここに及んで、ある程度近代の裏側の情報をうわべだけでも知っている方ならば、このすり替えで、さまざまな歴史的不可解な部分が、ドミノ倒しのようにつながってくることだろう。


昭和天皇ヒロヒトの不可解な言動もその内の一つだ。

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