2019年11月19日

魂に備わった本来の祈り方


この方の祈りは一見まともな祈りのように思えますが、望む意識がネガティブな位置から発せられているのではないでしょうか。
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要するに「〇〇〇がありますように」という意識の裏腹には「〇〇〇が無いので、そうありたいと願ってる」劣等意識が感じられます。


この祈願パターンは意念が常に無いものねだりになっているので、「無いことがかなえられ」だから何度も願わずにはいれない意識の空回りが起こるような気がしてなりません。


私が近年知った祈り方は従来のものとは違い、自分でも最初は納得できませんでした。
それは従来の意識が判断していたからです。従来の意識は「無いこと・欠けていること」を前程に物事を考え・望み・計画を立て実行していたからです。


今日、この意識に気付き、捨てる時代に来ているのを感じます。


従来の祈りのパターンは、人々の神聖をどこか遠い位の高い存在に委ねて崇めさせ、人々に劣等意識を植え付けることで、マインド的にも、経済的にも宗教を道具にして時の権力者が大衆を支配してきた長い歴史を今日まで引きずってます。


「人は元々幸せなのであって、望んだことは自分で気付く前から満たされているのであって」
あえてシンプルに祈るのであれば、こんな具合です。


『私は幸せであり、悩み苦しみもなく、


私が願うことはすでに私の意識に宿っており、あとは育てる楽しみを他者と分かち合い、


私は悟りの光そのものです』


多分はじめてこの祈りのパターンを聞いた人は皆目理解できないと思いますが、何度か自己暗示で繰り返していると、従来の意識が如何に囚われの意識だったかに気付くようになります。

【ご質問】
空回りが起きない様にするのは

どうしていくと良いのでしょうか?

祈り方に問題があります。


祈りは意念で意識の波動ですから、たとえ現状が苦境に立たされても、打開している自分、あるいは十分な至福・豊かさを実現しているヴィジョンを維持することで一つ意識が向上した段階の波動が発せられます。


大抵の人は、現状の意識段階をベースに祈りの波動を発するため常にアクセルを踏むと同時にブレーキも踏んでいる状態です。


そこで祈りの例としては、こんな感じです。
「私は元々幸福で至福に満ち、他者ともそれを分かち合っています」とか「病気や死は苦しみではなく、みなが共に助け合って共同生活すれば人の自然な営みに成ります」とか、とにかく自分の意識が劣等感・欠乏感に浸らないように注意して考えて発します。


最初はまったく現状とは異なる言い方なので戸惑います。
しかし、これを理解すれば、祈願ビジネスが如何に大衆をだましてきたかも理解できます。

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