2015年11月3日

国家神道もナチスムも作者は同じ

山口県、田布施=タブーを伏せる、ひょっとしたら明治以降に付けられた地名のような気がしてなりません。


天皇家の出自はエタ・非人に行き着く(岡山県の被差別地域)が、そのことを大衆の目から伏せるため。明治維新の後、政府は身分制度の廃止指令を敷き、その際旧部落の統廃合も行い、それを期に地名を変えたかもしれません。

かつて日本を洗脳の渦に巻き込んだ国家神道。
明治維新以降、日本を国家ぐるみで戦争に駆り立てるため、準備周到に練られた壮大なるファンタジー(日本神話に天皇を絡めた万世一系の与太話)。
それとならび、ナチスの首謀者を演技させられていたヒトラーを支える、あのファンタジーである、ゲルマン神話とアーリア人種の血統崇拝。そして、それを理由に,ライバルのユダヤ人を殺戮しまくり悪評を意図的に受け、世界にユダヤ国家の必要性を認めさせた、とつながってくる、このストーリー。
そうです。みなさん、国家神道もナチズムもどことなくそのヴィジョンが民族や神話を変えただけで似ているとおもいませんか?
両者の壮大なる綿密な空想崇拝物語を描いた作者は、実は同一人物なのです。
その作者は、日本人よりも日本民族のことをよ~く知り尽くした結社(ロスチャイルド一派と売国サムライ)です。ドイツの場合もパターンは同様です。
このことは一見奇異な発想に思われますが、
それは私たちが「見せかけの戦争」を経験させられ、すっかりその戦争史観に洗脳されてしまっているからです。
「見せかけの戦争」には単純なカラクリがはまっています。、タブーを伏せるため支配層は教育やマスごみ・学者を使って空想の世界に我々大衆を投げ込んでいます。
「見せかけの戦争」とは言うまでもない、国同士の戦いを言います。
小学校から学びますが、おじいさんやおばあさんの代からこの刷り込みです。
一方の「本当の戦争」とは、それぞれの国の支配者は皆仲間同士で、彼らの支配権力を維持するため互いに談合してシナリオを共同で描く、「壮大なるイベント」なのです。
彼らにとって国境は庭の柵のようなもの、柵に住む大衆同士殺しあうところがイベント会場のコロシアムで、座って見て楽しむのが支配者層なのです。
どちらが負ける番になるかは始める前から決めてあります。
後は殺しあうのを見せしめ、見返りに興業収入をたっぷり山分けするのです。
ですからどんだけ人が殺しあっても、収入と権力維持ができれば、役として負けても、うまみがあるのです。
このカラクリに気付くと、戦争だけでない政治や近代の歴史の不可解で不自然であったりすることの理由が理路整然となって顕われてきます。
しかしそれと同時に、否応にもなく壮大なる屈辱がむせびあがってくるでしょう。


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