2015年4月25日

食欲は人間界でも最強の洗脳である。

食欲は人間界で最強の洗脳である。
これは支配者層の仕掛けたこの世の幻影(マトリクス・TV・教育)をはるかに超え、宗教よりもきつい。それを聞いた瞬間、また多くの人々は「なにを言っているんだ、こいつ?」とでも思うだろう。しかしそれは厳然たる事実である。もともと人間の体は食べなくても生きていけるようにできている。
動物時代から受け継いできた飢餓意識の遺伝で、思い込みさえ外れればそこから離脱し、開放される。

今の時代は大衆の意識が急激に上昇する過度期にあたり、これに気づく人たちが増えている。
「人は食べなくても生きていける」
今、私はこの本を読んでいる。
物質的な比重の重い食材から比重の軽い食材であるプラーナで食っていけるのだ。
こちらのほうは無限かつ無料に自然界から供給されている。
この重要性に気づかずに一生を送ることもできるが、いつかまたの人生で気づかされるだろう。だから私は無理にお勧めはしない。
昔の時代にこれに気づいた仏陀やキリストたちはきっと先駆者だったのだろう。
こんなこと教えるのに師匠や先生など要らない。先生が必要となると中途半端な断食となる。不食とは永遠の断食なのでリバウンドなどない。
2000年以降これに気づく人たちが増えるにつれ、平行して、食べることが困難な環境や状況がますます積もってきた。
食品添加物や遺伝子組み換え・残留農薬や土壌汚染、そして極めつけのトドメが放射能汚染である。
厳密に言えば、食えば食うほど不要なものを蓄積し、度を過ごしたところで変調をきたようになっているのが現実なのだ。

口に入るものを厳しく選択してきた者は、否応なくこの不食あるいは微食・プラーナ食・サンゲージング(太陽凝視)やアーシングに注目していくことになる。
巷で出回っているあらゆる自然食品や無農薬を購入する段階から、自家栽培の野菜を育てる自給的な生活を始めるのも、最終的にはより密度の希薄で振動数の高い食材・エネルギーを求める方向に行き着くだろう。
私が思うには人の進化はそれぞれ異なるので、今生どのあたりで留まりことで満足するかもそれぞれで良い。

むしろ着目すべき点は、この危機的状況の中でどれだけ生きることの喜びを見出すかにあると思う。
たとえば、例を挙げればこんな喜びだ。
「私はこのような食材の選択に悩まされる時代に生まれて、なおかつ安全だけれども高価な食品を購入するほど金銭的に余裕がなく、病気をわずらうほど経済的なゆとりもなく、いやおうなく粗食を強いられ、行き着く所、微食を目指す羽目になったが、これによって食べるものを買う必要も少なくなり、自給自足も少量栽培で楽になり、無理強いする仕事も少なくなり、お金の悩みも少なくなり、体重も減少し、ウエストサイズが20才前後に戻り、何よりも気づいたのは人は食うために生きるのではなく、それ以上の楽しみや喜びがあると気づいたからで、もう人と競争する意味もなくなり、今は分かち合うことの喜びが私を満たしている。
もし私が100年前に生まれていたら、相変わらずこのことに気づかず、食うために人は生きると信じ、美味しく腹いっぱいに食べるられることが幸せであり、競争意識で明け暮れる人生を過ごしていたかもしれない」

写真の夕食は明日葉の料理。
先日参加した野草調理教室で知りました。
茎や硬くなった葉まで食べられるとは知りませんでした。
これが、てんぷらや細かく刻んで味噌汁に入れると美味しいです。
てんぷらに使う小麦はやめたので、はと麦の粉を使ってみました。サクサク感は今一ですが、明日葉の茎は美味しいです。


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