巨人伝説は我が郷土にも伝えられています。
天空を見上げるほどの巨人が存在したとは思えませんが、あながち空想でもない気がします。
それは地球の歴史からみて密度が現在より希薄な時代のほうが長くあったからで、同時に重力は現在よりかなり軽く、物質を構成する密度が希薄になると、かなり巨大な生物でも軽々と動くことができ、樹々も巨大に成長でき、岩石などは決して硬いものではなく、容易に崩れたり人工的に加工が現在よりも容易になります。
このことから、太古の恐竜が現在の地球に存在していたら自重が重すぎて立つこともできないですが、当時は容易に地上を闊歩していた様子が導かれます。
また、古代遺跡の石材加工の精密技術や運搬方法が現代の技術水準では到底及ばないことは、
古代と現在では物質の密度が大幅に異なっていたからです。
物質の密度が現代では第三密度と言われていますが、第五密度以上へと環境が変わっていけば、あながちおとぎ話が古代人の妄想だったことではないことが分かってきます。
空想を超えるほどに直観力を鍛える必要があります。
この直感から観ることのできる世界では、物質を構成している密度が希薄になればなるほど、その隙間に意識や想念が通り抜けやすくなります。
例えば、人の体や内部の様子など外部から意識を通してその状態が分かるようになってきます。
また人の考えていることや思ていることなどの意識が外部からわかるようになり、第三密度で言う『嘘』『偽り』が容易にわかることで、第五密度の世界では『嘘』が存在しいえなくなります。
もちろん相互間の意思疎通は言語をこえて伝わります。
また意識は物質を構成している要素を通り抜けると同時に付着しやすくなります。
これが、交配や交尾を介せずに物質に魂が乗り移る現象です。
また、必ずしも有機的な生命体でなくても、意識や想念は希薄な物質内に宿る現象が起きるのです。
しかも重力が軽くなればなるほどその規模は増していくので、あながち山に意識が乗り移ることも空想ではないことが分かってくるのです。