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要するに「〇〇〇がありますように」という意識の裏腹には「〇〇〇が無いので、そうありたいと願ってる」劣等意識が感じられます。
この祈願パターンは意念が常に無いものねだりになっているので、「無いことがかなえられ」だから何度も願わずにはいれない意識の空回りが起こるような気がしてなりません。
私が近年知った祈り方は従来のものとは違い、自分でも最初は納得できませんでした。
それは従来の意識が判断していたからです。従来の意識は「無いこと・欠けていること」を前程に物事を考え・望み・計画を立て実行していたからです。
今日、この意識に気付き、捨てる時代に来ているのを感じます。
従来の祈りのパターンは、人々の神聖をどこか遠い位の高い存在に委ねて崇めさせ、人々に劣等意識を植え付けることで、マインド的にも、経済的にも宗教を道具にして時の権力者が大衆を支配してきた長い歴史を今日まで引きずってます。
「人は元々幸せなのであって、望んだことは自分で気付く前から満たされているのであって」
あえてシンプルに祈るのであれば、こんな具合です。
『私は幸せであり、悩み苦しみもなく、
私が願うことはすでに私の意識に宿っており、あとは育てる楽しみを他者と分かち合い、
私は悟りの光そのものです』
多分はじめてこの祈りのパターンを聞いた人は皆目理解できないと思いますが、何度か自己暗示で繰り返していると、従来の意識が如何に囚われの意識だったかに気付くようになります。