2017年6月2日

願いをかなえる言葉の使い方

今日の一言、と言いつつ、また長文になってしまった。

人が「在りたい」と願ってもそうならない場合が多いのは、我々の意識・念が言語の限界で堰き止められてしまうからなんです。
その場合、逆手にとって言葉の方にトリックをかけると意識・念が広がると同時に高まって、願いと自分が一つになるんです。
「いつか私は・・・で在りたい・そうなりたい」と自分に言い聞かせるほど、「現在自分は・・・で在る・・そうなっている」状態とは分離してしまうのです。
そこで、あなたが何かを願う場合は、こう自分に言い聞かせるのです。
たとえば、「私は今そうなっている」「私はそれを今手にしている」
ポイントは現在進行形です。
私もこの歳になるまで、こういった暗示ですか、言葉が我々をコントロールして意識を低い段階に貶めていたことなんか知りませんでした。
イメージングやヴィジョンも大切ですが、言葉によって我々の思考が相当狂わされているのは確かなので、自分自身を行動に駆り立てる場合は、従来の社会で使われてきた言葉のロジックは見直さねば成りません。

「あなたは宇宙の創造主で、この世界を作り上げてきた父なる母なる存在です。いつかは源に還りますが、あなたはその源を今いつまでも内包しています」

これを従来の社会・文明の感覚で聞くと、言ってる人って頭おかしいんじゃない?って思えてしまいますよね。
でも、こういい続けると、そうでなくとも波動が上がるんですね。

実は、これが言葉本来の使い方で、今までの言い方は『言葉によって人が使われてきた』といっても良いでしょうね。
要するに支配社会が生み出してきた言語による暗示なんです。
言い換えれば自己自動洗脳方法だったと見なすことも出来ると思います。
その歴史はあまりにも長く、宗教や社会的慣習で根深く我々の意識に染み込んでいてウイルスの宿主のようなものだったのです。

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