過去も未来も今という時に集約している。よくニューウエイジの本に見かける決まり文句だ。なかなか言うのは簡単だが、そのビジョンを体得して、さらに人に伝えるのは難しい。ここ数冊の体脱の本を読み感じたことは、過去・未来が平行して存在するということだ。
そもそも一直線上に時間が流れているという感覚はこの文明において、微積分の発想が登場してXYの平面座標軸のビジョンが植えつけられてしまったからではないかと思う。
それまでの人類の時間に対する感覚は、それぞれの宗教に委ねられていた。
現時点の人生のカルマ的要因によっては、年代順には過去の時代に転生することは十分考えられる。
カルマによるならば、時間的制約そのものが意味を成さずに、その魂に必要とする体験を引き寄せる空間が転生の地となる。場合によっては物質的な空間とは限らない。魂は地上に降り立つのが最優先の目的ではなく。必要とする体験は魂の成長を目的としているからである。
時間の座標軸的なビジョンは平面世界の右肩上がりの直線。大方我々の時間的ビジョンはこんなところである。しかしこれを立体的に解釈しても自由なのだ。誰もそういったことにさほど意識しなくても生きて行けるのだが。
しかし現実的には、バシャールも言っていたように点在するといったほうがしっくりする。特に体脱を想像してみると。
空間をどう把握する学問(幾何学)から判断するとどうだろうから。
我々のほとんど一般人は、気がつかないがユークリド幾何学の空間に浸っている。教育はもちろんその世界観が現代文明のありとあらゆる物質で示され、埋め尽くされているからだ。
たまに、何の人工物の無い自然に触れてもスクリーンにかけられた眼鏡越しに体験するのでは真の空間を体験せずままに至ってる。
私は、自分のウェブサイトに幾何学のコンテンツを加えた。それは、何とかこの点を、真の空間を示すよりベストな空間把握のビジョンを伝えて生きたいと願っているからだ。
100年も前にアインシュタインが「」物質はエネルギーでできている」と言った。それによって量子力学が発展したそうだ。当時は、今でもそんなことは信じられないという人がいる。
今現在、人にいきなり「平面は渦を描いている」とかいっても同様だろう。
この点を踏まえて徐々にコンテンツを埋めて生きたいと思う。