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2016年3月11日

戦艦大和の原爆実験

4年前、内部告発者ジム・ストーンによってフクイチは核爆弾の材料であるプルトニウム製造工場であったことが暴露された。https://youtu.be/ZCEmFIMrRVE

これであの時の3号機の爆発が仕掛けられた核爆発だったことを多くの人が知るようになった。


それ以来、日本の原発の多くがプルトニウムの製造工場であり、電力供給プラントはカモフラージュであったことが徐々に知らされるようになった。

製造されたプルトニウムの多くは米軍基地に運ばれて小型中性子爆弾になって中東で炸裂していったに違いない。

この点を私は監督の鎌仲ひとみさんに会った際聞こうかと思っていた。

だが、その矢先彼女が他の質問者からそれとなく米国との関与について質問を受けた際、動揺を隠せないどころか、異様にその点については触れてもらっては困るような、ある種のアレルギー反応を示していたのを私は覚えている。

私はこの時、彼女は知っている、だが口止めされていると悟った。
あそこまで取材し調査しながら知らないはずはないからである。
戦後の原爆製造は日米が協同で進めていったに違いない。
そう言えるのは、原爆特許の根幹部分を天皇財閥が握っている、このことが昨年明るみになってきたからである。

昨年私は戦前における日本の原爆開発について調査していた。
ドイツで原爆を開発し、ペーパークリップ作戦で技術情報・技術者がアメリカにわたり製造され日本で落とされる、このパターンがあまりにもできすぎているのが気になっていた。特にNHKが取り上げた時点でおかしい。もっともイルミナティーの要員(ベラスコ)が自ら打ち明けた話など、何かを隠ぺいする目的に思えて仕方がなかった。

ところで、このところとツイッターからの情報で、どうやら同じようなパターンが脳裏をよぎってしまう1枚の写真に目が釘づけになった。


戦艦大和の沈没直前の大爆発である。

日本の原爆開発は岩手以外に今の北朝鮮南部で極秘に開発され終戦間際に最初の核実験が行われたという。


一方、アメリカはマンハッタン計画で資金も人材も材料も豊富だったから技術的にうんと進んでいた。このことは綿密な文献調査で鬼塚英昭が嫌というほど書いている。ただ、あまりにも内容がくどいのが気になっていた。

ただ、視点を「我々平民が思考する戦争」においていたらいつまでたっても支配者のマインドコントロールには振り回される。
要するに私が言わんとすることは、これはほとんどの人には受け入れがたいことであるが、あの戦争は日米共同で演じた一大イベントで、ヒロヒトもヒトラーもこのイベント劇の役者であったことだ。それに連合国・枢軸国といった対立構造も戦争劇のシナリオライターが描く典型的なパターンである。

だからこの視点から考察すると、以下のことが浮かび上がってくる。

日米がもっとも隠してきたかった事は負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことである。

このことは、ヒロヒトどころかほとんどの大将が米国側に、しかも開戦当初から寝返っており負けいくさを演じていたことからも導かれる。

勝ち負けのいくさ劇でマインドコントロールを受けていたのは大将以下下級軍人と下級国民だったのである。

もし、あなたがこの話を空想に思えるのであったなら、あなたはいまだに彼らが作ったからくりにはまりそのトリックに引っかかったままであり、戦前からのマインドコントロール(架空の記憶と思い出)を引きずっていると言えよう。

さて、今回問題とする大和沈没直前の爆発だが、この写真を見ていて私の内部でくすぶっていたことがだんだんと晴れてきたようだ。

以下は、私の直感から導かれることでもある。

結論から言えば、大和自体が実は建造当初から原爆製造工場だったということである。

当初から非常に極秘に建造が進められ、戦後になってようやくその存在が知らされるようになった大和。その中では人形峠から発掘された精製ウランが濃縮されて幾つもの原爆が製造されていたに違いない。

その内の二つが広島そして長崎に持って行かれた。


起爆は地上にて行い、米軍とあらかじめ綿密に組んだイベントが行われた。

終戦直後に残っていた原爆は北海道美幌の今の自衛隊駐屯地の地下基地にある。

当の大和は建造当初から、原爆製造の秘密が明かされてしまうのを隠すため自爆する設計が施され、そのような計画の下、建造後は活躍の場を与えず、終戦近くなって御用済みとされた。

爆煙をよく見てほしい、沈むなら何十発も受けた砲弾で沈没するところ、胴体を真っ二つにしたほどの爆破。これなら砲撃を受けていなくても沈む。

備蓄していた弾薬が炸裂したとしても、このように一度にしかも6000メートルまで噴煙が上がるものだろうか。

戦中日本で噂されていた極秘開発の「マッチ箱一つで戦艦を爆撃できる」爆弾を最初に実験に使ったのは大和においてであろう。

この威力を見届けた日米上層部はこの劇の最大のイベントである広島・長崎が成功裏に収まることを確信したに違いない。


参照:
◆そもそも世界初の核実験を1940年のネイチャ―に発表したのは日本
◆ウラン238に高速中性子を照射してプルトニウム239を生産する実験を制御棒無しでした原爆は日本製でした――1940年7月6日、ネイチャ―が、理研が行った核爆発の実験結果の解析の一部を、掲載していた その実験者仁科氏の郷里は、露頭ウランの宝庫
◆有識者もようやく語り始めた、「日本の原爆開発」2018年4月28日
◆合わせて読んでおきたい、『原爆地上起爆説』まとめ