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2021年8月12日

和病とは

 

貧困飢餓 が この世界を支配者する共によって作られているのと 同様に 大半の病気も 同じ者共の勢力によって 作られている。
そういった状態が人類始まって以来ずっとだから 人類は 不幸や病気の背後にいる存在に気づきにくい。

和病もそのうちの一つで 、ピラミッド型社会の支配構造が終われば、 和が潜在意識下に 持っている 恐れ・常に触れてはならない存在(天皇に関する不敬罪)に対する意識がなくなり、 その呪縛から解放されるだろう 。

私は常々たとえて言っているが、このことは海岸清掃と同じである。
流れてくるゴミは海岸環境にとって不健康であるからして、きれいにすること(対処療法)は称賛すべきではあるものの、根本的な原因がゴミを捨てる人々の意識以上にゴミを創り出している原料となる石油産業にありその経済勢力にあるのだからして、そこに問題提起の意識を向けるべきであり、その意識の拡大が集合意識を形成し、ひいては社会を根底で変えていく原動力になっていくと確信している。

つまり この 日本は 一般大衆 意識レベルで和病の根本的治療が必要であり、その原因さえ自覚できれば、二度と集団自殺させられることはなく、 原因となる天皇制を意識下で手放せば、リセットされるのだ 。

そしたら 縄文時代のような輪を持った部族の 仲間意識が蘇ってくるだろう。
ネオ縄文 文明の開花 、万歳

2019年5月2日

天皇制とは

 天皇制とは、頂点の天皇から町内会の隅々までピラミッド型社会構造になっている監視・カースト制の総称で、その中では上級国民になればなるほどどんな犯罪でも罪にならないごほおびがいただける。
だが、下級国民にとっては奴隷制そのもの。

 こんなネガティブなものを賞賛して中には自ら進んで奴隷に成り下がっている下級国民がぎょうさんいる。

2017年8月1日

なぜこんなに芸能界、スポーツ界、政界、マスコミ界、経済界、ヤクザや創価の上層に朝鮮人・在日が多いのか。

なぜこんなに芸能界、スポーツ界、政界、マスコミ界、経済界、ヤクザや創価の上層もに朝鮮人・在日が多いのか。
調べていくと、天皇一族そのものが朝鮮経由の王族らだった事が大きく影響していることに気づいた。
界と名の付くそれらは天皇の二の丸・三の丸どころか外堀で、天皇の正体を隠すためのガードであり、権力構図を支えるための下部組織である。
いわゆる、お堀を同族で固めてきたのである。
一方、天皇は在日差別や朝鮮人迫害を裏で行なってきた。そうすることで権力の中枢・本丸にベールを掛けてきたである。更にタブー化する風潮をつくり、大衆意識がより本丸に近づけないように巧みな大衆操作や洗脳が行なわれてきた。

これってどこかの迫害されてきた民族にも似てないだろうか?

そう、そのとおり!ユダヤ人だよね。

明治以降、日本でも同じやり方で支配しようとしてきた連中がいるわけよ。
やってる連中は同じ。民族など超越し世界を舞台に意図的に大衆同士を戦わせて戦争を作ってきた輩。

先の大戦も大衆を国同士の戦いに巻き込んでるけど、当の支配者どもは互いにビジネスパートナーで筋書き通りに負ける役・勝つ役を演じてたってわけだ。

彼らの巧妙なカラクリはそう簡単に見抜けないが、パターンは大体以下の構成になっている。

  1. 意図的に被差別部族を作り出し、虐待することで、大衆に分離の意識をつくり出させ、大衆勢力の弱体化を狙う。
  2. 差別民族(ユダヤ・朝鮮)に対して片方に優越感や社会的恩恵を与えて優生思想を植え込む。
  3. さらに神話や神の僕であることの優越意識まで植え込んで完全に意識や脳をコントロールする。
  4. 当の支配者中枢は、なぜか差別民族の出身。配下が同族なら裏切りにくいから。ここで田布施グループがでて来た理由が分かるよね。

在日支配システムについて


高倉健さんて在日朝鮮人だったのかな?ちょっと調べてみたら… : めざまし政治ブログ


陰謀論】日本の真の支配者は誰なのか?~明治維新の黒幕~


2016年6月27日

被差別民族による日本支配と天皇の出自

 日本人でも非常に分かりにくくされている朝鮮・在日・同和・部落・エタ問題の歴史的タブーを暴けば、その根幹は天皇制に行き着く。

 天皇種族が支配構造を維持するために、日本社会に仕掛けた差別問題は差別側に優越意識を与え、被差別には劣等意識を与えることでヒエラルキー(階層社会)を生み出してきた。これによって日本での天皇支配への大衆側からの批判と標的をかわすと共に天皇種族の防衛のために彼らは被差別側集団側から人材を引きだして防衛集団としてに使ってきた。
ヤクザ界を育て、政界・財界・宗教界・芸能界にスポーツ界・それら界と名づくところ在日が多いのはそのためだ。

 ここまでが天皇の第一のディフェンスで天皇の祖先が朝鮮系の一族である、ということが知されても同族の配下が守ってくれる環境を今日まで面々と作り上げてきたのだ。
 
 ところが、この支配手法は天皇種族が自ら始めたわけではない。
同じような手法はユダヤ問題でも面々と続くが、この問題を作りだしたのは大英帝国・ユダヤ金融資本・バチカン・イエズス会が深く関わっている。

 日本に天皇制を作りだしたのは、彼らであって倒幕府を裏で操って資金援助して英国王朝スタイルの支配体制を日本にも同じように施行としたからである。

 他国を支配するにはその中で最も差別されてきた種族を頂点に迎える。そうすることで裏切るどころか進んで配下となる支配のメカニズムを知りつくしてきたのが彼らだ。
それまで天皇は歴史上ほとんど大衆から忘れられた生活をしていた落ちぶれ貴族だったが、操り天皇を倒幕後いっきに頂点の踊り場に登場させたのだ。
これが幕末期の天皇がすり替えられた事件である。
それからはこの天皇を使っては戦争の拡大を仕掛けてきた。

 ここまでが第二のでフェンスで天皇を操ってきた張本人を隠し通すためである。ほとんどの日本人はここまで知り通すのは困難を極めるだろう。
それは天皇の本当の出自を隠すために取ってあったもっとも高いハードルだ。

 今日の天皇種族の出自は不可触選民、いわゆるもっとも日本で最下層の身分であった穢多(えた)であったことが知らされるようになった。

2016年3月29日

日本人はいまだ天皇教の信者である

 我々日本人はいまだ天皇教の信者である。
もちろん、ほとんどの大衆は信者という自覚は無い。
戦後、大衆は教祖がなくても洗脳できるように様々な仕組みでマインドコントロールされてきたからだ。

 社会構造の頂点には霧が立ち込めて見えず、下界にいる下々の信念体系はがっちりと天皇財閥を頂点としたピラミッドの檻に収められている。日本の金・利権はこの頂点を軸にして回っているのだ。

 掘り下げて言えば、日本人にとって『神』である拠り所すなわち依存する対象は、偶像としての天皇より目には見えない概念としてのピラミッド型社会構造そのものが檻となっている。
ただしその頂点の本当の組織は終戦工作やら演技でもって見えなくさせている。

「進撃の巨人」に例えるならば、巨人である敵や危機感を放っている張本人は中央政府である。
仮想敵国としての北朝鮮を作り上げてきたのも天皇財閥といわれている。

 本当の敵は、敵を作り放っている本丸にありと言ってもいいだろう。
この本丸を見えないように日本では非常に巧みに二の丸・三の丸を築いて王様の砦を強固な物にして近づけない・触れない・タブーにしている。
それを囲っている二の丸が在日系ネットワークであり、三の丸として仮想主従国としての米国がある。

 この壁の中ではどんだけ金を稼いでも・どんだけ幸せな家庭を築いても自由である。
だが、あくまでもそれは奴隷と管理された虚栄の自由に過ぎない。

 この奴隷システムから脱出するには、手かせ足かせとなっているシステムの枠から抜け出て、新たな大衆による大衆のためのシステムを構築していかなければならない。



 では、そのシステムを築くにはどうすればよいのか?

そもそも大衆は上下関係でコントロールされるのではなく横とのつながり連携運動で社会活動を行なっていくのが本来の姿ではないだろうか。
だが、いままで大衆の力が増して行こうとすれば必ずそれを分離・分断・孤立させようとする仕掛けが社会の中に組み込まれてきた。
個人より組織や上の存在を崇めさせてきたのもその内の一つだ。組織を束ねることでより大衆をコントロールしやすくさせ、利権というエサをばら撒き裾野を広げた網で囲ってきたからだ。
また、近年では大衆の中で目覚め始める人たちが増えると困るため、抵抗したり反対したりすると自ら同類となって現状をさらに悪化させると信じこませ引き寄せの信者にさせてきた。これも巧みなマインドコントロールで大衆を大人しくさせてきた一例である。

 批判精神は大切であり、抵抗運動も必要だ。
大衆の連帯・連携・つながりによる様々な活動、それと同時に平行して個人でも組織レベルでも行なわなければならないことがある。
それはひとえに、いままでのピラミッド型社会システムとそれを支えている信念体系を断舎利していくことにある。

 我々大衆はこのシステムのエサに慣れ親しんでおり、意識レベルで中毒や依存症になっている。だからそれを脱ぎ捨てるのは容易なことではない。
ましてや規制や社会的な慣習・法律などでがんじがらめにさせられている。
よほどそこれに対する自覚がなければあえて断舎利するモチベーションは続かないだろう。
むしろシステムの中にいて社会的な慣習・規制・法律を通してシステムを改善し世の中を良くして行く選択を取るのもよいだろう。

 だが生半可な選択をせづ、根底からこの世界を変えていく方法は
断舎利に尽きる。
先ずは自身の信念体系から掃除をしていき、同時に外側も順序だてて掃除していくほうが振り出しに戻らず長い目で見たら効率が良いだろう。

 従来のシステム・信念体系に変わる大衆主体の社会システムと信念は本来複雑なものではない。
そもそも単純で気づいたら存在している程度のものなのだ。
あえて言えば、もともと自然に存在しているだけで今まで気づかなかっただけである。

それは、従来のシステム・信念体系を捨てていくだけで自ずと築かれていくものである。
言い方を変えれば、それは今まで水面下に沈んでいただけで、抑えられていた重石が取り除かれることで浮上してくるものなのだ。

 そして今後それは思わぬしくみ」となって我々の前に現れてくることだろう。