ラベル 原爆地上起爆 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 原爆地上起爆 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年8月2日

原爆地上起爆説まとめ

広島に落された原爆が日本製だったと真しやかな噂があります。
しかもB29によって上空から落とされたのではなく、地上に設置されて爆破されたと。

これは日米がもっとも隠してきたかった事なのです。太平洋戦争もしかり両国の上層部が共同で画策したイベントで、負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことにありました。


なお、この点については疑問以前に皆目理解できない方もいらっしゃると思うので、事前に当ブログの過去投稿をお読みいただくと日本製原爆の経緯がご理解できるかと思います。

要するに9.11同様、飛行機による爆破ものではなく、あらかじめ地上に仕掛けられていたという説です。

ところが、この地上起爆説が最近論破されています。
地上で起爆したのならば、当然爆破によるクレーターがあってもよさそうなものです。
それがどこにも見当たらないと反論しています。

実はヒロシマに落とされたあのウラン型爆弾は水と反応させると爆発する性質があるそうです。
当時のウラン型原爆は水の中にドボンと落とし込むことで爆発すると言っていた開発に関わった人の話を聞いたことがあります。

だとすれば、爆心地周辺を写したこの空撮写真で見れば、護岸の一部が崩れているこの地点が爆心地になるのではないでしょうか。
画像


画像
上空から見ると公式爆心地からすぐ近く。元安川の向こう岸。


本当の爆心地はここだと私は睨んでます。原爆は元安川に、原爆ドーム対岸から投げ込まれたのでしょう。
川岸をよく見てください。護岸が見事に無くなっています。上空600メートルの炸裂によるものではなく、水中で真横から抉り取られるようにして吹き飛ばされたと見るほうが自然ではないでしょうか。

画像





画像
映画「この世界の片隅に」の一こま。原爆が陸路で運ばれ水中に投げ込まれたとするならば、主人公すずがスケッチしていたこの地点が原爆設置箇所。



画像
密集した民家の路地を縫って川岸に原爆を設置するのは怪しまれるので。むしろ海路によって広島まで運ばれ、目標地点の産業推奨館前にて水中に落とされ、起爆したとのではないだろうか。

画像
更にもう一枚の写真はその原爆クレーターを明確に写している。米などで収集された新たな32カット内の1枚。


「そもそも原爆というのは水を使う原爆だったんですね」原爆開発に関わっていた研究者の 重要な証言。





戦前の広島中島地区がCGで忠実に再現されていた。 これを見ると護岸は間知石で組まれている。 原爆炸裂後の写真を見るとこの範囲の護岸だけが根こそぎ吹き飛ばされている。 爆破によってできる窪み川底で見えず、護岸によってさえぎられ、目に見えるクレーターはできなかったのだ。
画像


ヒロシマ原爆投下直前、B29(上空9Km)を見たという証言が多数あるが、同時刻帝国海軍の紫電改(上空5Km)が広島上空を通過、操縦士はB29を見ていないと断言する。 実際その時B29が飛んでいないとすれば、地上から見えた飛行機は紫電改に違いない。だが後々被爆者にとっては敵機に思えたに違いない。






【参照サイト】
""原爆は日本製で地上起爆?""
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/95bf9cbeb582d09ae05f6818993d737f

2019年8月10日

日本製広島原爆水上起爆説

広島に落された原爆が日本製だったと真しやかな噂があります。
しかもB29によって上空から落とされたのではなく、地上に設置されて爆破されたと。

これは日米がもっとも隠してきたかった事なのです。太平洋戦争もしかり両国の上層部が共同で画策したイベントで、負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことにありました。
なお、この点については疑問以前に皆目理解できない方もいらっしゃると思うので、事前に当ブログの過去投稿をお読みいただくと日本製原爆の経緯がご理解できるかと思います。

要するに、9.11同様飛行機によるものではなく、あらかじめ地上に仕掛けられていたという説です。

ところが、この地上起爆説が最近論破されています。
地上で起爆したのならば、当然爆破によるクレーターがあってもよさそうなものです。
それがどこにも見当たらないと反論しています。

実はヒロシマに落とされたあのウラン型爆弾は水と反応させると爆発する性質があるそうです。
当時のウラン型原爆は水の中にドボンと落とし込むことで爆発すると言っていた開発に関わった人の話を聞いたことがあります。

だとすれば、爆心地周辺を写したこの空撮写真で見れば、護岸の一部が崩れているこの地点が爆心地になるのではないでしょうか。
画像に含まれている可能性があるもの:屋外

「そもそも原爆というのは水を使う原爆だったんですね」原爆開発に関わっていた研究者の 重要な証言がここにあります。

そもそも槌田氏はことの真相を知っているのではないでしょうか?




画像に含まれている可能性があるもの:空、橋、屋外、水

本当の爆心地はここと私は睨んでます。
原爆は元安川をはさんだ原爆ドーム対岸から投げ込まれたのでしょう。
川岸をよく見てください。護岸が見事に無くなっています(蛍光ラインの箇所)。
この在り様、上空600メートルの炸裂によるものではなく、水中で真横から抉り取られるようにして吹き飛ばされたと見るほうが自然ではないでしょうか。


更にもう一枚の写真は原爆クレーターが明確に写っている。


画像に含まれている可能性があるもの:テキスト
上空から見ると本当の爆心地は米軍発表のドーム東側からすぐ近くです。ドームから見て対岸、元安川の向こう岸。



写真の説明はありません。
映画「この世界の片隅に」の一こま。
原爆が陸路で運ばれ水中に投げ込まれたとするならば、主人公すずがスケッチしていたこの地点が原爆設置箇所。




なぜ米国と日本の上層部は爆心地をあえてずらして発表したのでしょうか?

もし元安川上空であったならまずいことでもあるのでしょうか?

多分に考えられるのは、原爆の自作自演を隠すためこの水上起爆にまで考えが及ばないようにあえて陸地の近い地点に爆心地をずらしたのではないでしょうか。

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

密集した民家の路地を縫って川岸に原爆を設置するのは怪しまれるので、むしろ海路によって広島まで運ばれ、目標地点の産業推奨館前にて水中に落とされ、起爆したとのではないかと察します。

画像に含まれている可能性があるもの:空、山、屋外、自然
戦前の広島中島地区がCGで忠実に再現されていました。

これを見ると護岸は間知石で組まれています。
原爆炸裂後の写真(最初の投稿画像)を見るとこの範囲の護岸だけが根こそぎ吹き飛ばされている様子がよくわかります。

爆破によってできた窪みは川底で見えず、なおかつ護岸によってさえぎられ、目に見えて跡が残るクレーターはできなかったのです。

動画による解説はこちら↓



一九四五年八月六日、広島の川の状況

【以下、疑問点への回答】
被爆者の証言で、見上げた上空に閃光を見ている?やはり高度600mで爆発しているのでは?
その答えは↓
https://twitter.com/honest_kuroki/status/1026252418059620352?s=20

2016年3月11日

戦艦大和の原爆実験

4年前、内部告発者ジム・ストーンによってフクイチは核爆弾の材料であるプルトニウム製造工場であったことが暴露された。https://youtu.be/ZCEmFIMrRVE

これであの時の3号機の爆発が仕掛けられた核爆発だったことを多くの人が知るようになった。


それ以来、日本の原発の多くがプルトニウムの製造工場であり、電力供給プラントはカモフラージュであったことが徐々に知らされるようになった。

製造されたプルトニウムの多くは米軍基地に運ばれて小型中性子爆弾になって中東で炸裂していったに違いない。

この点を私は監督の鎌仲ひとみさんに会った際聞こうかと思っていた。

だが、その矢先彼女が他の質問者からそれとなく米国との関与について質問を受けた際、動揺を隠せないどころか、異様にその点については触れてもらっては困るような、ある種のアレルギー反応を示していたのを私は覚えている。

私はこの時、彼女は知っている、だが口止めされていると悟った。
あそこまで取材し調査しながら知らないはずはないからである。
戦後の原爆製造は日米が協同で進めていったに違いない。
そう言えるのは、原爆特許の根幹部分を天皇財閥が握っている、このことが昨年明るみになってきたからである。

昨年私は戦前における日本の原爆開発について調査していた。
ドイツで原爆を開発し、ペーパークリップ作戦で技術情報・技術者がアメリカにわたり製造され日本で落とされる、このパターンがあまりにもできすぎているのが気になっていた。特にNHKが取り上げた時点でおかしい。もっともイルミナティーの要員(ベラスコ)が自ら打ち明けた話など、何かを隠ぺいする目的に思えて仕方がなかった。

ところで、このところとツイッターからの情報で、どうやら同じようなパターンが脳裏をよぎってしまう1枚の写真に目が釘づけになった。


戦艦大和の沈没直前の大爆発である。

日本の原爆開発は岩手以外に今の北朝鮮南部で極秘に開発され終戦間際に最初の核実験が行われたという。


一方、アメリカはマンハッタン計画で資金も人材も材料も豊富だったから技術的にうんと進んでいた。このことは綿密な文献調査で鬼塚英昭が嫌というほど書いている。ただ、あまりにも内容がくどいのが気になっていた。

ただ、視点を「我々平民が思考する戦争」においていたらいつまでたっても支配者のマインドコントロールには振り回される。
要するに私が言わんとすることは、これはほとんどの人には受け入れがたいことであるが、あの戦争は日米共同で演じた一大イベントで、ヒロヒトもヒトラーもこのイベント劇の役者であったことだ。それに連合国・枢軸国といった対立構造も戦争劇のシナリオライターが描く典型的なパターンである。

だからこの視点から考察すると、以下のことが浮かび上がってくる。

日米がもっとも隠してきたかった事は負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことである。

このことは、ヒロヒトどころかほとんどの大将が米国側に、しかも開戦当初から寝返っており負けいくさを演じていたことからも導かれる。

勝ち負けのいくさ劇でマインドコントロールを受けていたのは大将以下下級軍人と下級国民だったのである。

もし、あなたがこの話を空想に思えるのであったなら、あなたはいまだに彼らが作ったからくりにはまりそのトリックに引っかかったままであり、戦前からのマインドコントロール(架空の記憶と思い出)を引きずっていると言えよう。

さて、今回問題とする大和沈没直前の爆発だが、この写真を見ていて私の内部でくすぶっていたことがだんだんと晴れてきたようだ。

以下は、私の直感から導かれることでもある。

結論から言えば、大和自体が実は建造当初から原爆製造工場だったということである。

当初から非常に極秘に建造が進められ、戦後になってようやくその存在が知らされるようになった大和。その中では人形峠から発掘された精製ウランが濃縮されて幾つもの原爆が製造されていたに違いない。

その内の二つが広島そして長崎に持って行かれた。


起爆は地上にて行い、米軍とあらかじめ綿密に組んだイベントが行われた。

終戦直後に残っていた原爆は北海道美幌の今の自衛隊駐屯地の地下基地にある。

当の大和は建造当初から、原爆製造の秘密が明かされてしまうのを隠すため自爆する設計が施され、そのような計画の下、建造後は活躍の場を与えず、終戦近くなって御用済みとされた。

爆煙をよく見てほしい、沈むなら何十発も受けた砲弾で沈没するところ、胴体を真っ二つにしたほどの爆破。これなら砲撃を受けていなくても沈む。

備蓄していた弾薬が炸裂したとしても、このように一度にしかも6000メートルまで噴煙が上がるものだろうか。

戦中日本で噂されていた極秘開発の「マッチ箱一つで戦艦を爆撃できる」爆弾を最初に実験に使ったのは大和においてであろう。

この威力を見届けた日米上層部はこの劇の最大のイベントである広島・長崎が成功裏に収まることを確信したに違いない。


参照:
◆そもそも世界初の核実験を1940年のネイチャ―に発表したのは日本
◆ウラン238に高速中性子を照射してプルトニウム239を生産する実験を制御棒無しでした原爆は日本製でした――1940年7月6日、ネイチャ―が、理研が行った核爆発の実験結果の解析の一部を、掲載していた その実験者仁科氏の郷里は、露頭ウランの宝庫
◆有識者もようやく語り始めた、「日本の原爆開発」2018年4月28日
◆合わせて読んでおきたい、『原爆地上起爆説』まとめ