2026年6月5日

奥三河に残る洪水伝説の痕跡

私もオアスペを読むことにしました。
全訳版は膨大な量で、読み解くのも時間がかかるので、先ずは解説書から手に取りました。


オアスペとは、
1881年米国で出版され、日本でいうところの日月神示同様、お告げの書として世に出たそうです。
しかし、キリスト教をはじめ世界の四大宗教を否定する内容が書かれていたり、人類7万8000年史や、日本が沈没大陸「パン(Pan)」の残骸であるといった独自の宇宙観・歴史観。はたまた、日本人の祖先がこれまでの人類史を揺るがすような存在として描かれていたりしてます。このため、一般社会や学術界からは非現実的なものとして扱われ広く普及しませんでした。ところが、近年日本ブームもあって注目され始めたのです。詳しくはこの動画を参照に。

オアスペの内容は多岐にわたりますが、私が最も興味を持ったのは、旧約聖書前の人類の歴史で大洪水について語っている箇所でした。

旧約聖書の中で語られるノアの箱舟。かつて地球に大洪水が起こったという伝説は『オアスペ』でも語られており、約2万4000年前に太平洋上にパン大陸が存在し、神の裁きによって大津波に飲み込まれて沈没したと言います。
そして日本列島は、そのパン大陸の北方山脈部が沈まずに残ったところからZa-Panと言われたそうです。
この地図は大雑把に描かれていると思います。
今日ではグーグルアースで海底の大陸棚までよく見えるので、おそらくもう少し小さかったのではないでしょうか。
あるいはニュージーランド周囲の海域にも大陸棚が見つかっているので、そことニューギニアとがつながって一つの大陸だったのかもしれません。

オアスペでは、大洪水から生き残ったのはノア達だけでなく、4船団130数隻がアジア、アフリカ、アメリカに向けて脱出したそうで、日本にはその内の2隻が漂着したそうです。
その後日本に定住した人々はパン大陸の文明を他の大陸に広めたと書かれています。

日本に漂着したとなるとそれはどこだろうか。想いを巡らしていると、私の地元北東は奥三河のある山の名前を思い出しました。
そこは標高427mなのに、なぜか『船着山』と名がついている山です。

調べてみると、その謂れが出てました。
ここでは祖先が神格化されて語られてますが、まさに2隻のうちの1隻がここに漂着したのではないだろうかと思われる内容です。
それに船を繋いだとされる岩まで記されていました。

その謂れでは大洪水のことは語られていませんが、海の水が引いて陸地となり島が山となったと書かれています。何故でしょうか。
具体的に語ることが許されなかった時代背景があったかもしれません。明治期以降は記紀の歴史書に沿うようにとの風潮の下、古の語り部は口を閉ざされたのでしょうか。


そこで気になって、もし船着山のくびら岩に船を止めたとしたら当時の陸地はどの程度まで海上に現れていたのだろうかと調べてみました。


くびら岩は山頂から10m下ったところに位置しています。
そこで海抜をそのあたり390mまで上げていくと、船着山は小さな島だったことが見えてきました。


おそらく船は巨大だったに違いません。周辺の島々や内陸部には、それほどの船をつなぎとめる岩が見つからなかったのでしょう。そこからは小舟で人や物を運んでいったのだと推測できます。

その証拠に、当時入り江になっていたところは、そこがかつて海だったことが伝わる地名が2ヶ所残っています。
それが有海と大海という地名です。

またそれにつながるのではないかという伝統的な祭りです。大海で行われる『放下祭り』で、これを見たとき私は何か異様な感覚を憶えました。仏教由来の行事と言われても、あまりにも異質で美術史の観点からも仏教的とは思えませんでした。

今日の由来伝によれば、先祖の霊を向かい入れるお盆の時期に行われる仏教由来の行事なのだそうです。
しかし、私が真っ先に思い浮かべたのがあの『伝説のムー帝国の紋章』でした。



両者に共通なのは太陽崇拝の印だけでなく、その中心に一家・一族の紋章を配置している点にあります。



以上、『船の漂着した山』・『かつてそこは海だった地名』そして『伝統的祭りの紋章』の3点を痕跡に挙げ、ザパンたどり着いた古代日本人の祖先がパン大陸から流れ着いたのではないだろうか推察してきました。

今日これが100%本当であったかどうか誰にもわかりません。
しかし、今の時代ならば、この3点をAIにかけて分析してみる手もあります。
おそらく高い確率をだしてくるのではと予想してます。
今後はさらなる痕跡の発見・科学的分析によって導かれる太古の陸地の形状変化がタイムラインで見て取れるようになると、その確率はさらに高くなっていくのではないかと思います。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿