2016年1月10日

Ancient Advanced Building Materials and Techniques PART 1, Geopolymers a...

古代の人造石(ジオポロマー)の分析
エジプトの遺跡のレリーフの多くはこのジオポリマーによるもの。
石灰岩だけでなく花崗岩さえもセメント状にして使っていたとは驚き。

この動画ではエジプト以外、近代に見られるそのテクニックによる彫刻も紹介している。



数百年前なのだろうか、地球の密度は現在よりずっと希薄だたと思われる。その痕跡がトルコのフィギリアで見つかった 。




Millions of years old vehicle/sledge tracks; Phrygia Valley, Forbidden A...

2016年1月9日

古代の巨石技術

古代の石工技術がみてとれる遺跡
アスワンの未完成のオベリスク
最近、石加工・石切り場など、古代の技術を分析する情報がネット上で流れている。
その多くはロシア経由で、世界中の巨石における古代の技術の解明だ。そのなかには公的機関による調査もあって、加工技術の高さに加え驚異的な重力コントロールの技術の開示をもくろんでいるのだろうか。
この2・3ヶ月にわたって私は数多くのこうした動画を観てきたが、現時点で言えることは以下のことだ。
エジプトに限らず、古代の巨石加工には我々の文明では使わない、様々な、より進んだ技術が用いられていた。
たとえば、
●音波を使って石を柔らかくする技術ースプーンやスコップですくえる位柔らかくできた。
●音以外に同様な波動を有する植物を石に浸して柔らかくする。ーブロックの隙間が無い壁などはこうした加工によるもの。
●特殊な電気を起こすことができ、どうやらこれで石を柔らかくする音波を出したらしい。重力軽減もそこから導かれるようだ。
●神殿の遺跡のレリーフなどは石を彫った跡も見られるが、ジオポリマーという進んだ技術によるもの。これは今日のコンクリート(ポルトランドセメント)と違い数千年は保っている人造石で、彫刻像にふんだんに使われていた。
我々の知らされている古代ギリシアの彫刻群にもこの技術が使われているし、ピラミッドのブロックのつなぎ目にはこうしたポリマーが接着剤として使われている。またギザのピラミッドの下部以外のブロックはこうした人造石、型枠に溶解した石を流し込んで作られた痕跡が見られる。
このような技術はアジアも含め世界各地にもある。
わかってきたことは、この技術はロシアのある石加工技術集団は保持しており、今日その内容をまだ知ることはできないが成果は見ることができる。
市民考古学者Hiroshi はやし浩司さんから最初ギリシア彫刻が手彫りでは無く3D技術によってできると聞いて、それは無いだろう、素人による突拍子も無い思い込みと思っていた。
だが、数多く出てきているロシア側による情報を目のあたりにして、どうやら本当だったことを確信するに至った。
では、なぜ西側諸国ではこうした情報は無かったことになったのだろうか。
私が思うに、それはたぶん古代の石加工技術から様々な知識がわかってきてしまうからで、それ隠蔽してきた集団がいたからだ。
フリーメーソンの母体となるようなこの集団が一生懸命こうした技術集団の系譜をつぶしていったのだろう。
未完成のオベリスクは
Lost Ancient High Technology Of Egypt Before The Pharaohs Part 2
27分あたりから
https://youtu.be/8aZtLXvuCHc?t=27m12s

2016年1月3日

私は占いの類にほとんど興味ないが、ふと目に留まったこのサイトによると、どうやら私の手相は最高の手相で、その幸運度がスゴすぎるようだ。

【あなたの手相はどうですか?】
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20151224-82556377-wmcurazy
私の手の平には、よく見ると実に美しい幾何学ラインが刻まれている。
幾何学生活苦節30年の証なのかもしれない・・・

手相師のジョン・セイント・ジャーマン氏によると、
「手のひらのM字は、幸運のサインだと信じられている。M字の持ち主は・・・以下省略」

確かにMが末広がりでくっきりと見える。



だが、さらによく見ると他のアルファベットも見えてくる。XとAが。
MAXなのか?それとも、もうこういう人は幸福を超えた境地なのかもしれない。
そうなのだ。私にとって幸福とは、世界すべてが幸福にならない限り個人の幸せはありえ無いと言うのが本当のところだ。

この境地からすると、個人的なあるいは一部の社会層や民族の幸せはエゴの産物で、数千年かけて支配者層が作り出した幻影と幻想と幻覚のなかで満足する夢を見せ続けさせられており、それに向かってまるで人参を目の前にぶら下げられて走る馬車馬のごとく走らされているに過ぎない。
そのため、人は幸福論や占い・成功哲学に寄り添い、それらはすべて全体から切り離された小さなきわめて個人的で一時的な満足感という檻におさまっている。
そこには、すべての人の幸福や成功は含まれていない。

皆気付くべきだ、幸せ祈願やラッキー(ついてる)などなどそういった観点からすれば、支配者層が作り出した競争原理という檻の中でのエサに過ぎないことに。
だから私は初詣や神社崇拝・祈願など今年限りで全て断舎利し
た。
それらはもともと悪魔崇拝を起源としているが、数千年のこの文明の中であまりにも日常化しすぎて人類が麻痺してしまっているのだ。

この幸福というエサである檻に入れたがっている悪魔的な存在がいることにも気づくべきだ。
我々文明の根暗い一側面を寺山修司がこう詩ている。
「生命線 ひそかに変えむため  わが抽出しにある 一本の釘」

すでに人類は神的な存在まで進化しているので、もし願うならば己自身に向かって願い、意識を他者にゆだねるなかれ。自分自身が自分の望んでいることを確実にできるのだと・起こすことがありえるのだと信じてあげることだ。
この自身があれば、手を合わせてお願いすることなど必要ない。
そもそもその行為自体が悪魔崇拝の始まりで、人がその他力意識を埋め込まれる前に行っていたことは胸に手を合わせる行為なのだ。
だから本来の祈りや願いは己に受かって胸に手を当てるところから始まる。